ツアーたるもの

ツアーというものに参加した。10年ぶりくらいだろうか。集合場所に行ったらクルマに乗せてくれて、お水を渡されて、社内でぐわぐわ寝て、休憩場所についたらトイレにいって、またねぼけてるうちに到着。現地でも、言われるがままに歩き、飲み、ご飯をたべ、自分の脳みそを使ったのは、マッサージのチップ代と、ショップでの買い物くらいか。帰りも全く同じ。

すごい、ツアーってほぼ脳みそ使わないし、緊張感もない。日本語ができるガイドさんで、日本人ばかりだから、言語脳みそも使わない。
こんな旅ってあるんだなぁ、とちょっとびっくりした。とともに、「買い物終わったのに、他の人を待たなきゃいけない」とか、「順番いれかえたいなー」とか、「他にもご飯メニュー食べてみたかったなー」とか、面倒くさいなとおもうところはあったけれど、基本的に
ものすごい楽。でも、こんなんばっかが楽しいか、と言われたら、否だな。珍道中の旅好きには、脳みそのシワがツルンツルンになりそうだ。

でも、マダムのこの一言で納得。「自分でバスとかで来たら、すごい大変そうなのよね。癒やされる旅なのに、疲れちゃったら意味ないから申し込んじゃった。」と言われて納得。

そう、愛用の化粧水を作ってる病院の博物館見学+ごはん+マッサージ+ショッピングという、怒涛の日々から脱出するためののんびりツアーだったんだった。たまにはこういうのも味わった方がよろしいんだった。ちなみに、珍道中の旅ばっかりでも、脳みそはツルンツルンに近いボケっぷりは変わらないから、何してもおんなじか。

庶民

来週の半ばでVISAがきれるので、延長しにイミグレーションへ。混雑するのは目にみえてるので、午後からの授業に間に合うよう朝イチで行った。とはいえ、疲れが出てきてるので朝そんなにはやく起きれず、でもタクシーもスムーズで、事務所が開く30分前に到着したもののズラリとすごい人が。そして整理券は350番くらいまであったはずだが、すでに配り終えていたよう。

申請用紙も書いてないし、写真もコピーもとってないので、とりあえず写真やらを取りに行って、戻って列に並ぶ。・・が、思ったよりちゃんと進んで、到着して2時間ちょいで無事延長完了。チェンマイでは、書類出してからだいぶ経ってからパスポート返却だったけど、こっちは書類だしたら5分くらいだった。めっちゃ流れ作業でスムーズ。ま、年に1回めの延長くらいならあーだこーだいわず通すんだろうな。なんていい商売なんだ、と毎回思う。

お昼ご飯を食べ、帰りはバスに乗ることにした。1時間に1−2本と言われてるが、10分も待たずにやってきた。エアコンなしだったので、高速のっても35分くらい乗っても30円弱。行きは20倍はかかったぞとは(いえ700円くらいだけど)。早起きしたのでバスの中では爆睡し、降りてからは学校まで1駅歩きがてら、浮いたお金でドーナツとコーヒーを買う。ああ、なんという贅沢。

そういえば、同じクラスで学ぶ人と授業後にお茶をしにいったら、「すごい!安い!」と驚いていた。現地のカフェの大体2倍、スタバやおしゃれカフェくらいの値段なので、私にとっては許容範囲、でも現地値段に慣れると高く感じるくらいの、おしゃれカフェ価格である。しかし、彼女が住んでいる駐在日本人が多いエリアに比べたら、断然安いらしい。あー絶対住めないし、望まないなあと思った。

うーん、私ってどうやってもハイソな感じには慣れないんだろうなぁと思った瞬間。あ、たまにホテルビュッフェとか、贅沢するんだけどさ。食はあんまり豪華なのん、好きじゃないんだろうな。あー庶民庶民。食はそこそこで、どちらかというと住と衣の方を重視するかもな。ま、なんでもお金をかけるより、アイデアを入れたいんだな。

よくできる女性によく見られる鎧みたいなやつ。あれを脱ぐのはきっと大変なんだろうなぁ、と思う。努力もちゃんとしてるのだろうし、気もよくつくし、良いことも悪いこともバンバンバンっと口から全部出ている。でも、たいていの場合、ものすごい気ぃ使いで、相手にどうとられるか、とか、誤解されないようにとか、なんかいろいろ考えていて、口調はたいていものすごい強くて、んでもって丁寧なときはものすごい丁寧。

見ていてとっても大変そうで、鎧がとても重くて脱ぐのも大変なんだろう。その鎧を入手するのも、それを着るのも、それを着たまま動くのも、それぞれの段階で常に大変だったんだろう。

きっと苦労もあるんだろうけれど、一番の難点は、みんながみんな同じように鎧着てるわけでも、着れる能力やそれを入手する力もあるわけでもない、そして着たいわけでもない、ということをわかってないことかな。そして、そういう人は、そういう自分をとても理解してほしいと思っているきがする。自分はこんなんだった、こういうふうにできるんだ、ということをしばしば発言し、それが「みとめてぇぇぇ」といっているように聞こえるのは幻聴か。鎧着てたら、やっぱり怖いよねぇ。

せわしない

この嵐のような人からの連絡はなんなんだ。そして、ねむっていたような仕事も一気に動きだした。さらに悲しくも帰国が見えてきたのに、査証の延長をしなければならないという現状。あの「あああ、時間がたっぷりあるわぁ」と思えていた一瞬は、はるか夢のようだ。

突然くる人。その人が帰る日には、また次に突然来ると連絡があり。その人が帰るころには、また次の予定の人や帰った人から問い合わせがあり、さらに、一時帰国中の音信不通やった人が3日だけ戻ってくるとか。授業も難しくなり、仕事もあっちとこっちが怒涛のように入り乱れているので、パズルのような予定。おかげで仕事は効率的に進むけど、神さんはうまいことずれるようにしてるよなーとおもわんばかりの、うごきである。

しいたけさんの言う通り、12月は怒涛だ。行こうとおもっていたところにも全然行けていない。ま、また来たときにいけばいいけど。ま、そんなもんだよな。

いま、よく学び、まぁまぁ働き、よく遊ぶを実践してる感じ。「よく学び、よく遊び、ぼーっとする」の予定だったんだけどな。ま、それもいっか。

よくできる女性によく見られる鎧みたいなやつ。あれを脱ぐのはきっと大変なんだろうなぁ、と思う。努力もちゃんとしてるのだろうし、気もよくつくし、良いことも悪いこともバンバンバンっと口から全部出ている。でも、たいていの場合、ものすごい気ぃ使いで、相手にどうとられるか、とか、誤解されないようにとか、なんかいろいろ考えていて、口調はたいていものすごい強くて、んでもって丁寧なときはものすごい丁寧。

見ていてとっても大変そうで、鎧がとても重くて脱ぐのも大変なんだろう。その鎧を入手するのも、それを着るのも、それを着たまま動くのも、それぞれの段階で常に大変だったんだろう。

きっと苦労もあるんだろうけれど、一番の難点は、みんながみんな同じように鎧着てるわけでも、着れる能力やそれを入手する力もあるわけでもない、そして着たいわけでもない、ということをわかってないことかな。そして、そういう人は、そういう自分をとても理解してほしいと思っているきがする。自分はこんなんだった、こういうふうにできるんだ、ということをしばしば発言し、それが「みとめてぇぇぇ」といっているように聞こえるのは幻聴か。鎧着てたら、やっぱり怖いよねぇ。

崖っぷちだけど

他のことで時間がとられて、復習も予習もできず授業に参加することになり、正直頭も辛い、身にはいらなさそー、気が乗らないーと思って学校にいった。

やはし、つらし。頭からどんどんこぼれ落ちていく。しかし、やっぱり???なこともあり、途中で混乱したこともあったし、この前町中で謎だった???なことも聞きたかった。でも、頭がまとまらんので聞けるか?と思いつつ、授業終わった後に聞いてみたら、この拙い質問にも、ものすごくちゃんと答えてくれて、じっくり座って30分以上も費やしてくれた。

話す機会は限られてても、宿題で文例をかけばチェックしてくれるからかけばいいんだよな、と数日前にようやく気づいた。そうしたら、チェックできるからどんどん書いてね!質問がでてくるのは考えているからだから、よいことよ。どんどん考えてどんどん聞いてね!と。

ああ、やはりそうだよね。せっかくの今の時間の無駄にしてはいけないんだ、とあともう8日しかレッスンはないけれど、もう遅いくらいやけど、気づいたから良かった。私、この先生好きだなぁ。もう、みぶりてぶり、説明がすばらしくて、熱意が溢れ出ている。

英語とも日本語とも全然違う。語順も違う、ニュアンスも違う、細かいとこと大雑把なとこも違う。だから訳なんてできない。そして、このいいたいのに言えない辛さ!がうがう、がうがう。

なんで、こんな言語やってるんやろ。

いやーん、通じたわ!わっほーい。

はっ、全然わからん。なんやねん。一生できる気がしない。

あ、そういうのね、おっもろー。

この浮き沈みの延々の繰り返し。そして、めんどうくさいけど、ぶつかりつづけている。行き先はみえず、さだまらずともだったけれど、きづいたらゼロ地点からは離れている。迷子になろうとも、さまようとも、さぼりつつも、沈んでいこうが、おぼれようが、やりたいなぁとただ思っていた前の状況とは違ってて、さらに今年も無事生き延びたことが感慨深い。

人生、つねに崖っぷちだけれど、私は生きてます。

だいぶおくれて

人生初で、いま、チャゲ&飛鳥さんブーム。世間からだいぶおくれて、突然やってきた。あの伸びる声と、あの二人の組み合わせと、あの曲、なんなんだー。と思いながら、しつこく聞いてる。