よくできる女性によく見られる鎧みたいなやつ。あれを脱ぐのはきっと大変なんだろうなぁ、と思う。努力もちゃんとしてるのだろうし、気もよくつくし、良いことも悪いこともバンバンバンっと口から全部出ている。でも、たいていの場合、ものすごい気ぃ使いで、相手にどうとられるか、とか、誤解されないようにとか、なんかいろいろ考えていて、口調はたいていものすごい強くて、んでもって丁寧なときはものすごい丁寧。

見ていてとっても大変そうで、鎧がとても重くて脱ぐのも大変なんだろう。その鎧を入手するのも、それを着るのも、それを着たまま動くのも、それぞれの段階で常に大変だったんだろう。

きっと苦労もあるんだろうけれど、一番の難点は、みんながみんな同じように鎧着てるわけでも、着れる能力やそれを入手する力もあるわけでもない、そして着たいわけでもない、ということをわかってないことかな。そして、そういう人は、そういう自分をとても理解してほしいと思っているきがする。自分はこんなんだった、こういうふうにできるんだ、ということをしばしば発言し、それが「みとめてぇぇぇ」といっているように聞こえるのは幻聴か。鎧着てたら、やっぱり怖いよねぇ。

せわしない

この嵐のような人からの連絡はなんなんだ。そして、ねむっていたような仕事も一気に動きだした。さらに悲しくも帰国が見えてきたのに、査証の延長をしなければならないという現状。あの「あああ、時間がたっぷりあるわぁ」と思えていた一瞬は、はるか夢のようだ。

突然くる人。その人が帰る日には、また次に突然来ると連絡があり。その人が帰るころには、また次の予定の人や帰った人から問い合わせがあり、さらに、一時帰国中の音信不通やった人が3日だけ戻ってくるとか。授業も難しくなり、仕事もあっちとこっちが怒涛のように入り乱れているので、パズルのような予定。おかげで仕事は効率的に進むけど、神さんはうまいことずれるようにしてるよなーとおもわんばかりの、うごきである。

しいたけさんの言う通り、12月は怒涛だ。行こうとおもっていたところにも全然行けていない。ま、また来たときにいけばいいけど。ま、そんなもんだよな。

いま、よく学び、まぁまぁ働き、よく遊ぶを実践してる感じ。「よく学び、よく遊び、ぼーっとする」の予定だったんだけどな。ま、それもいっか。