水彩画のように

タイ北部の国境は、ラオスミャンマーに接している。その少し北は中国なので、チェンライの町のサインには中国語が記載されているのが見られた。国は人間が引いた線で区切られているけれど、言語や文化はその線の周りに、じわじわとにじむ水彩絵の具のように、いろんな色を混ぜながら独特の深みをましてゆくものだ。

その時は、国境を超えてラオスに入って、ルアンパパーンまでのスローボードの旅か、ミャンマーに行こうかと思っていたが、それまでの行程でお腹がいっぱいになってしまった。そういうときは、無理に食べようとしないのが鉄則だ。

そう決めて飛行機を手配して、ぱっと外を見たら、大きな大きな光の玉が見えた。7階の窓から、神々しい神様のような、圧倒的な存在がぶわーっと入ってきた。ふっと冷静にかえると夕日であることに気づいた。山の向こう側のミャンマーの方に、その大きな光の玉がじわじわじわと近づきながら、空に浮かぶ雲にいろいろな影と模様を生み出していた。ふっと左をみると、薄くてグレーの影が空一面を覆っていて、その光の玉に対抗しているような、何か別の大きな存在がで、神話がうみだされるような景色だった。ああ、もうここから先は人間が作った小手先の世界じゃないんだ、もっと神とか自然とか、私が想像しうる世界よりももっともっと大きな世界なんだなと、すぅっと思った。そして、そこに足を踏み入れるには、今私の中にはそれまでの旅路で蓄積されてきたものがありすぎるんだ。それくらい温かくて強い光で、一番記憶に残っている夕日だった。

光と自分の間にガラス窓があるのがもどかしくて、慌てて飛び出して見にいった。すっかり山の向こうに姿を消して、雲たちがさらに深くそして優しい影を作り始めたのを見届けて部屋に戻ろうとしたとき、エレベーターでとても背筋の良い女性が乗っていて、「日本人ですか?」と英語で声をかけてきた。

彼女はBangkok Airwaysのスタッフで、日本航空と提携が始まっていろいろと展開していくために、日本にもちょうどいってたところだと話始めた。彼女は、どうやってどのルートできたの?なぜその飛行機を選んだの?と次々に質問をしてきたけれど、嫌な感じがしなかったので答えていた。私の階についても、彼女の階についても会話が終わらないので、「降りて話しましょうか?」と言って少し話をしたあと、「ありがとう、とても参考になりました。またタイに来てくださいね。」と言われて別れた。彼女は多分私より少し年下だったと思うけれど、今とこれからが楽しみだという感じがひしひしとした。私が子供の頃住んでいた頃のタイだったら考えられないような変化を経て、こうやって世界に目をむけている人たちが多くいるんだろう。こうやって外にオープンな姿勢って気持ちがいいなぁと思った。タイ人のビザが緩和されて、今関空には多くのタイの人が遊びにきている。今のバンコクの大都市化を悲しむ人たちもいるし、その気持もわからないでもないけれど、どこだって同じだ。世の中はよくもわるくもドンドン変化してゆく。同じではいられないし、過去にも戻れないし、過去と同じ変化ももちろんできない。

ただ、そこにいる人達がキラキラとしている世の中であるのがいいなぁと、彼女を見ていて思った。くっきりはっきりむりやり色分けをするのではなく、水彩画のようにじわじわと、自然の力にもゆだねながら、美しい色を生み出すように変わってゆく。それは、山の向こうのミャンマーでも、川の向こうのラオスでも、そして海に囲まれた日本でも、そうあってほしい。