パンづくりの理由

高校生の頃、授業に出ないである教室で佇んでいたら、通りかかった教師に「授業に行け。学校内にいるときには学校のルールに従え。」と言われたことがあった。騒ぎを大きくしたくなかったので授業に行ったけれど、その授業では、クラスの大半は受験に必要の無い授業を聞かずに、違う科目の問題集をやっていた。見つけた教師としては注意をしなければならないのは仕方ないけど、そのルールってなんなんだろう、とりあえず時間割に定められた場所にいれば居ろってことかな、と思っていた。まず、なぜそこにいるんだろう?とは思わなかったんだろうか。

掃除も嫌いじゃなかったけれど、ほとんど使わていない部屋も毎日5−6人で、無理やり役割分担して、無理やり雑巾と箒をもって、無理やり時間をめいいっぱい使っているのが嫌だった。それなら、曜日で交代制にして、ぱぱっとやった方がいいやんと提案したけれど、女子でそれを実行するのは私くらいだったので、よく注意されていたっけ。

好きだった数学の授業で、ウキウキで問題をといていたら、代理で来ていた教師が私の解き方を見た後で、みんなの前で私の解き方を紹介した後、「こんなやり方をするやつはアホだ」と言ったことがあった。確かに手間のかかる方法だったけれど、答えは合ってたし、他の人よりも早かった。そして何よりも、私は楽しかったのだ。早いやり方は合理的で良かったし、「そうかーその手があったかー」とは思ったけれど、彼のセリフがすべてを台無しにしていた。幸い代理教員で、すぐに楽しい教師にもどってくれたので、数学を嫌いにはならなかったけれど、危なかったなぁと思う。元々彼のことを好んでいなかったので、そのオーラが出てたのかもしれんなぁ、にしても大人げないなぁと中学生なりに思っていた。

表立って反発することはあまりなかったけれど、枠にはまった大人や差別する大人に対しては、冷めた目でみていたから、きっと嫌な子供だったに違いない。そんな大人に管理された子供なんて嫌だなぁ、早く大人になりたいなぁと思っていたけれど、大人になってみて、大人にとってもつまらない管理社会だったんだなぁ、とふと思うことがあった。ま、いわゆる、私が「大人」になってないんだろうけども。

何も考えずに、考えても外に出すことなしに、ただ、言われたことや決まったことを受け入れていくのが一番すんなり生きてるんだろうけど、それって、生きてるって言うのかしら。それって、大人=思考停止した人って感じじゃないかしら。とかブツブツ思いながら、ちょっとイラッとしたので、パン生地をバンバンぶち付けて見たら、意外とよかった。大人になって初めてだ。パン作り。