小人の壁と大人の壁

私たちは自分の中に壁を作るのが得意なようだ。何か新しいものや、少し気になるものがあっても、「私できないし。」「やったことないし。」とすぐに壁が立てる。わかりやすい例でいうと、制作系になると「センス無いし」という壁がにょきん。習いごとやら、新しいことにしてもそうだし、最終手段としては「お金ないし。」「時間ないし。」の二大巨大壁どどん。やって失敗したくない、周りからどう見られるか心配、というのが大きいか、あとは、うまくやらないといけない、みたい気持ちが年を重ねるとともに増えてくるような気もするけれど。いずれにせよ、悲しきことは、自分の中にぴょこんと目覚めた「ちょっとやってみたいよな。」という気持ちがその壁によって抹殺されていることなのだ。あれ、すきだよな、ちょっといいよな、っていう、自分の中にうまれた小人(こびと)みたいなものを、一瞬にして壁の中にとじこめてしまうような光景を、幾度と無く見てきたんだけれど、悲しそうな小人の姿が目に浮かぶと切ない。

その一方で、今まで経験を重ねてきたことによってできる壁もあるらしい。仕事であったり、日常生活の中で自分がやっていることとなると、結構年季が入ってきて、10年やらそれ以上のベテランの粋になる。そうすると客観的に見なくなるというか、自分のやってきた道しか見なくて、人の意見を取り入れたり、そもそも聞こうとしないことがあるという。「できる」と思い込むことによって壁を作って、外の景色をみなかったり、外からみようとしなかったり、というのはなかなかもったいない。今までやってきたけど、ちょっとわからなくなったな、とかこれ知らないなとか、苦手だな、みたいなことに出くわしても壁をつくっているような気がする。その理由は「大人(おとな)だから今更」っていうやつなんだろうか。

こびとの壁もおとなの壁も、日本人に特に多いようなきがする。壁を作るにも維持するにもエネルギーがいるのだし、それだったらやってみるとか、聞いてみるとか、ぽこんと扉を開いた方が良いんだとおもうんだけれど、「そんなに簡単じゃない」と言われちゃうんだろうかしらね。